銭湯道
2006年 06月 04日
ふと思った。実は、人間のこの体、こここそがお社ではないかと。。。もちろん頭では、人間は、神様の一部であるとか、全ての中に神様がいるだとか考えていたわけだが、人間の体を「お社」と発想した事はなかった。そう考えると、これは自分にとって非常にしっくり来る神道(的)解釈である。神様がいらっしゃりやすいような気持ちと体であれば、ご利益も大きいはず。風呂の機能には古来よりそういった一面があるのかもしれない。
さて、銭湯に入り、カランの前に座る。鏡に向かう。(神社も正面はたいがい鏡が置かれている)体を丹念に洗い、自分の顔をしっかりと見つめる。心と体をしっかり解きほぐし、精神を清める。銭湯は、そんな儀式的行為も良く似合う空間だ。
■入湯店名:越の湯(港区、麻布十番)
■記録:天気_くもり 入湯時間_21:10〜21:50 入湯者数_11人〜8人
■暦:水晶の月6日 KIN157 赤い磁気の地球